優勝

韓国人監督がサッカーベトナム代表を優勝させて大フィーバー


ベトナムがスズキカップ優勝…「韓国人監督に感謝」 ハノイに太極旗
国際サッカー連盟(FIFA)ワールドカップ(W杯)やアジアサッカー連盟(AFC)アジアカップなどメジャー級大会で優勝を期待するのが難しいベトナムのサッカーファンにとって「東南アジアW杯」と呼ばれるスズキカップは人気や注目も面で両大会を上回るイベントだ。最近、東南アジアのサッカー盟主をめぐりタイとライバル関係が形成され、熱気はさらに高まった。ベトナムが昨年10月、2002韓日W杯4強の主役、朴恒緒(パク・ハンソ)監督を迎えたのは、「アジアの虎」韓国サッカーの闘魂と選手育成システムをモデルにするための決定だった。
勝負を分けたのは1ゴールだった。前半6分、ベトナムのFWウンウイェナインドゥクが左サイドからのクロスに左足を合わせてマレーシアのゴールネットを揺らした。その後、マレーシアが同点に追いつこうと激しく反撃したが、ベトナムは冷静な守備で失点なく試合を終えた。11日のアウェー第1戦の2-2引き分けを含めて第1、2戦の合計3-2でベトナムが優勝カップを手にした。
価値ある記録も伴った。スズキカップ無敗優勝、そしてAマッチ16試合連続無敗(9勝7分け)。スペインやブラジルが保有する通算Aマッチ最多無敗(35試合)とは比較にならないが、現在無敗行進を続けている国の中では最多記録だ。ベトナムサッカー史で以前には経験できなかった新しい世界だ。
ベトナム代表がスズキカップで優勝した直後、ハノイ市内は巨大な祝祭の場に変わった。ミーディン国立競技場の周辺は人とバイク、自動車で「統制不可」状態になった。金星紅旗と太極旗があちこちで掲げられ、絶えず赤色の花火が打ち上げられた。道路を統制すべき公安と軍人もこの日だけは「青春」に戻った。赤い服を着たファンと一緒に「ベトナム・コ・レン(co len=ファイト)!、パク・ハンセオ・コ・レン」を叫ぶ姿が目に入った。
記者がタクシーをあきらめ、優勝を祝う人波の中で宿舎のホテルへ向かう間、多くの人たちが近寄ってきて「朴恒緒の国から来たのか」と尋ねながら握手とハイファイブを求めた。韓国の2002年韓日W杯4強神話直後の姿をそのまま再現したような「ハノイの眠れない夜」は明け方まで続いた。
前半序盤の先制ゴールで優勝に一歩さらに近づいたが、朴監督はなかなか席に座ることができなかった。ベンチの横でやや退いて立ちながら何度も水を飲んだ。失点危機状況ではベンチの柱の後ろに顔を隠す姿も見られた。マレーシアの激しいプレーに怒る選手たちに「落ちつけ」というジェスチャーを見せたが、最も興奮していたのは朴監督自身だった。試合中は厳しい表情を見せたりもした朴監督は終了ホイッスルが鳴ると笑顔に変わった。
試合後、朴監督は「優勝トロフィーはベトナムの国民に贈る。サッカー指導者という小さな役割で大韓民国とベトナムの友好増進に寄与できたことに感謝する」とし「ベトナム国民が監督の私に送った愛情ほど、祖国の大韓民国も愛してほしい」と語った。朴監督がベトナム代表監督に就任した後、単なる「韓国出身の指導者」ではなく「韓国サッカーを代表する指導者」として重い責任感を担ってきたことを表している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181217-00000004-cnippou-kr

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なぜ川崎フロンターレは勝ち点13差から大逆転できたのか?


11/30(金) 6:30配信
川崎フロンターレがJ1連覇を達成してから、約3週間が過ぎようとしている。
優勝を決めたセレッソ大阪戦からは2週間の試合間隔があり、先週末にはFC東京との多摩川クラシコに2-0で勝利を収めている。残りは最終節の残すのみとなったが、いつもと変わらぬトレーニングを麻生グラウンドで実施している。
「優勝が早く決まると、ありがたいです。サポーターから『おめでとう』と言ってもらって、触れあえましたね。ユニフォームとか色紙に『連覇』という漢字をたくさん書きました」
そう笑うのは、中村憲剛である。
思えば、昨年は最終節での優勝だったため、翌日には解団式を経て、オフに入っている。そのため、選手たちがサポーターと触れあう機会もほとんどなかったのだ。一方、今年はまだリーグ戦が残っている日程で果たした優勝である。練習見学に足を運ぶサポーターへのファンサービス対応が行われるのと同時に、選手たちもサポーターから祝福の言葉を数多くかけてもらっているようだった。
「初優勝」であっても、「連覇」であっても、リーグ優勝の価値は変わらない。ただし、優勝への道のりは、少し違った。今年のプロセスに関していえば、やるべきことを突き詰めてつかんだものだと中村は説明する。
「去年はちょっと劇的過ぎましたからね。すべての意味で。今年はどちらかといえば、自分たちの成熟度というか、やるべきことを突き詰めて、噛み締めながら優勝したような感じでしたね。最終節前に決まって、そこまで盛り上がらなかった。取り上げる側からすると、新鮮さもないかもしれない(笑)。でも連覇ってこういうことかなと」
――自分たちがやるべきことを突き詰めれば、その先に優勝がある。そのことを当然の結果として走り続けたというわけだ。
もっとも、一時期はサンフレッチェ広島に勝ち点13差をつけられている。マラソンでいえば、途中までは自分よりもはるか先で、広島の独走状態だったレースだ。それでも脱落しなかったのは、すべてが自分たち次第だと選手たちが腹を括ったからに他ならない。
「自分たちで勝ち点を積み重ねること。勝ち点が減ることはないのだから、やる作業は変わらないし、そこの頂点を目指すことにも変わらない。相手は関係ない。もし負ければ、優勝を持っていかれるのも自分たち」
普通だったら、自分がどんなに頑張っても追いつけないと思うかもしれない。しかし今年の川崎は、自分たちが脱落しなければ、必ず追いつけるという確信のようなものがあったという。だから、そのベクトルも自分たちに向け続けた。
では、なぜそれだけ自分たちを信じられたのか。その根源にあるのは、昨年の成功体験によるものだ。
昨シーズンの終盤、川崎の優勝条件は、残り3試合を全勝した上での鹿島の結果次第だった。自分たちが負けた瞬間、鹿島の優勝が決まる崖っぷちが続く中、1-0で連勝するしぶとさを発揮して、最終戦は大勝利を飾る。川崎は最後の最後で優勝を果たした。追い込まれた状況下で勝ち続けて優勝した経験が大きいと中村は言う。
「優勝を意識してソワソワし出すチームは、他が気になったりする。でも去年は、負けたら終わりのデスマッチを1カ月ぐらい続いて、それを全部勝って乗り越えた。ルヴァンカップ決勝で負けた後の3試合ですよね。あの時に、『他人じゃないよね、自分だよ』と。それを知りました」
もちろん、連覇できたのは、それを達成するだけの地力がチームにあったからでもある。中村は、ここ2、3年で、優勝争いし続けている環境にチームが身を置いていること、そして麻生での厳しいトレーニングが結果につながっていることなど、そういった要因が連覇の下地になっているとも振り返る。
「2016年で優勝争いをした。それも大きかった。あれを入れてこの3年、優勝争いしている。そしてそれが日常になっている。つながっている。トレーニングをいくらしても勝てなかったら、疑心暗鬼になる。そういう意味では、ここでやったことがそのまま出る。その代わり、超きついですけど(笑)」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181130-00870014-soccerk-socc

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